2017年11月11日土曜日

認知療法家もどきの文章のほうが、役に立つ?

俺だって、そういうレベルであれば、『不安に対する七つの方法』みたいな記事をまとめられるよ。彼らよりも、認知療法には詳しいのだから。認知療法はまあ、普通の人のための療法なんだよな。鬱病と言っているけど、なんて言うのかな……内因性かあるいは、激しいストレスを浴びた期間が一年以内と短い場合だ。もどきは、本を一冊読めば、その気になって書くことができる。本当のところを知らないから、まとめるのは『逆に』楽だ。その気になっているわけだし、自分の鬱状態、自分の不安、自分の無気力には効いたのだから。

けど、ちがう。ちがうんだよ。

けど、ちがうというレベルの話をしても、Googleさん的には見分けがつかない。どっちが高度なことを書いてあるかなんてわからない。どっちが意味があることを書いているかなんかわからない。で、まあ、ぼくの場合は、『そうじゃない場合』で、ようするに『普通じゃない場合』『特殊なケース』について書いているわけだから、よその人が読む場合、当てはまる人が少ない。なので、多くの人にとっては、認知療法家もどきの文章のほうが、役に立つ?ということになる。そんなんじゃないからこまっているんだ』と思う人には役に立たない。けど、軽い人?も、重い人もなんとかしようと思って、『不安に対処する』『不安 対処法』などというキーワードでページを探すわけだ。だから、たとえ、「普通」の方法であったとしても、それについてまとめて書いてあったほうが、良いということになる。だいたい、自分にとって価値がある文章なのかどうか判定するまでに、『読まなければならない』ので滞空時間(そのページにとどまる時間)が長くなる。これも、SEO的にはプラスだ。けど、それは、特殊な人が読むようなページじゃない。普通の人が読むようなページだ。まあ、普通に働いている人がちょっと不安を感じたときに読む場合は、認知療法家もどきが書いた文章がちょうどいいのかもしれない。なんて言うのかな、悩みのレベルや悩みの深刻さがちがう。『そんなんじゃないから』と言いそうになる。こっちはね。

「そんなんで、かたがつくなら、くろうしてない」と思ってしまう。

で、その場合、自動車保険とかまったくぼくにとって未知な分野であることを位置から勉強して書くよりも、特殊な人には役に立たないということをふまえながら、認知療法家もどきのよくある方法、考え方を「まとめて」書いたほうが、よいのではないかということが言える。

で、まよってしまう。

ほんとうはこんなもの役に立たない』と思いながらも、認知療法家もどきの文章を書いて、Googleさんに評価されて、他の人たち……特に普通の人たちには役に立つ?文章を提供するべきなのか? 批判をするべきなのか? 批判はほんとうはすべてを理解した後じゃないと、することができないので、楽じゃない。ほんとうは高度なことをしている。けど、その批判の部分だけ書くと、いろいろと問題がある。その批判がほんとうにすぐれた批判であったとしてもだ。本質的な問題について考えた論考であったとしてもだ。

心理学の本に出てくる不安に対する対処は、こういうものがある、こういうものがある、こういうものがある……これは、こうだ……たとえばこんなときに……というような文章を書くのはぼくにとっては、楽なことだ。自動車保険について書く方がずっとむずかしい。どうしてかというと、自動車保険にはまったく興味がないからだ。

けど、これ、一般の人には役に立つのかもしれないけど、毒親、気違いヘビメタ騒音というふたつの毒にやられたぼくには、役に立たない。自分にとって役に立たなかった、価値がない方法を人には勧めるというのは問題がある。けど、普通の人は、それでいいのかもしれない。たとえば、毒親にやられた人と、毒親にやられなかった人の割合を考えると、毒親にやられなかった人のほうが圧倒的に多い。親も人間だから、完全に理想的な親というのはいない。なので、毒親の話を聴いて、「うちだってそういうところはあった。けど……」と感じる人がいるかもしれないけど、そういう人は、毒親にやられた人とはちがう。これも、けっこう面倒なんだよな。

全部がスペシャルレベルで、足踏み状態になってしまうんだな。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音のことなんてどんだけ「学がある人」だってやられたことがなければわからない。そりゃ、理屈はわかるだろうけど。


いつも読んでくださるかたに感謝しております



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